友寄隆優 先生について

友寄隆優先生

我が祖父、友寄隆優先生1897年(明治30年)~1971年(昭和46年)は沖縄県国頭郡本部町に生まれ、童名を「カミー」と呼ばれたそうです。幼少の頃、伊江島に移住し、小学校を高等科で卒業し、23歳まで農業に従事していたそうです。

1921年(大正10年)に和歌山市の日之丸産業株式会社に就職し後日、会社の沖縄県担当統括責任者になったそうです。4年後の1925年(大正14年)に、後の上地流空手の開祖となる上地完文先生も同じ会社に就職されたそうです。

1926年(大正15年)に和歌山市手平に会社の一部屋を利用し道場を開設しました。
その時のエピソードとして、再三に道場開設の懇願を固辞された寛文先生に対し祖父は、沖縄出身の若者に働きかけ、拳法修行の賛同者を30名ほど集め、1人あたり5円の月謝を前払いの形で用意させ、総額150円の大金(当時の学校の先生の初任給が35円、校長先生が165円。料亭で一晩飲みあかしても1円の時代)をもって完文先生の所に訪ねていき、「道場の月謝では飯を食べてはいけない」と断っていた完文先生を説得しました。